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がんばれ平成生まれの労働者

 今年は平成20年だから、今年高校を卒業して就職した人ははじめての平成生まれの労働者ということになる。

 平成生まれの労働者が生まれつつあるということ自体が時代の様変わりを感じさせるが、今年は職場を変わったせいか、私のまわりにそういう人がたくさん見られる。

 最初、「新人です」といって挨拶に連れてこられた警備員がそうだったし、病院のあちらこちらに「研修中」の付属看護学校の学生さんがいる。

 一生懸命、先輩の看護師から言われたことノートにとっている姿は初々しいが、今日病院に点検に来た“防災屋”(消防設備の点検をする人)にも何人か、ピカピカの新人さんが何人か混じっていた。

 若い人が社会に参加し希望を持って仕事をするのは好ましいことだが、現実にはいろいろ困難もある。

 現在いろいろな職場に若い人が見られること自体が驚きをもってとらえられているのは、このようなかつては当たり前だった状態が長く途絶えていたから。

 不況のなかで、一番最初に、「年配者には家族があるから、遠慮しろよ(自主退職しろ)」といわれるのはつねに若い人であったし、企業が人材削減のもっとも安易な方法として採用したのが、新規採用を抑制することであり、新卒者の採用を見合わせることだった。

 こうして日本では失業率が若年になるほど高いといういびつな就労構造が形成されてきたが、このような構造自体が、現在の企業(資本)が若い労働者を余計者としてしか見ていなかったことをあらわしている。

 しかし“団塊の世代”がつぎつぎとリタイアしていくなかで、企業(資本)も若い世代の育成に乗り出さざるをえなくなっているが、むちろんそれは本気ではなく、経済状態が暗転すればたちまちもとに戻るような性質のものである。

 そして労働組合も誰かを犠牲にして自分たちの雇用を守る、その誰かというのは養うべき家族をもっていない若い人がいいであろうという安易な発想を捨てなければならないだろう。

 

 

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