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2008年5月

看護助手の時給は850円

 現在、多くの病院が静かに、ゆっくりと経営危機に向かって歩み始めている。

 その理由の一つが薬価の改訂による収入の減少であり、患者の負担増による医療の敬遠である。

 人間も機械と同じようにある年齢を超えればメンテナンスが必要となるが、そのメンテナンス料が高価なものであれば、もう少し無理をして、もっと悪くなってから見てもらおうということになる。

 日本の社会における貧富の差が拡大し、貧困層が増加するなかで、人間のメンテナンス料がだんだん高価なものになっていくことは、人々をして病院から遠ざけさせる結果となっている。

 このように人々がよほどのことがなければ病院に行かなくなりつつあることは、病院の総収入を減少させ、経営を圧迫する。

 この病院の経営危機を見越して、病院では人件費の圧縮が行われている。

 しかし病院の人件費の大部分は“医者さま”の給料であり、これに手をつければ、賢い“医者さま”はどこかよその病院へ行ってしまう。

 そこで病院でも、日本の社会と同じように、給料が買いたたかれるのは、一番弱い立場の労働者ということになる。

 私は看護助手の時給が850円と聞いて、ある意味衝撃を受けたが、今の病院ではさもありなんという気もする。

 しかし、もともと看護助手の給料は低く病院の人件費のなかにおける比率は小さかったのだから、この部分を縮小しても経営の改善にはあまり役には立たないであろう。

 

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ポーターおばさん

 病院内でA地点からB地点まで、書類や薬を運ぶのは気送管システムが使われている。

 病院に来る前にもこういうシステムがあることは知っていたが、どうして真空ポンプやブロワーを使って、薬剤やカルテが入ったカプセルをA地点からB地点まで搬送するのか、不思議で仕方がなかったが、こちらに来て、そのシステムを実際に見て、ようやく分かった!

 これだけでも病院に来た甲斐があると思ったが、病院にはもう一つ「ポーター」という病院内の運送屋さんがいる。定期的に病院内を回ってA地点からB地点まで書類や薬を運ぶ仕事をしている。

 そのポーターさんのなかに私と同年代のおばちゃんが一人いる。何でも少し前までリハビリ棟で受付事務をやっていた人らしいが、受付に3人もいらない、とくに年寄りは要らない、年も年だからポーターにでもすれば、イヤになって病院をやめるだろうということで、ポーターに配属されたらしいが、当人はいたって元気である。

 「絶対にやめない」とがんばっているが、そういうやめない勇気というのも必要なのかも知れない。

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専門技術職の難しさ

 厚労省の発表によると、過労自殺が最悪の81人にのぼったそうだ。

 この「過労自殺」というのは分かりにくいが、過労や職場のストレスが原因でうつ病などの精神疾患となり、自殺にいたるという過程が多いようだ。

 年代別では30歳代、職種別では専門技術職が多いといわれるが、この世代のこの職種に何が起こっているのだろうか?

 この専門技術職と呼ばれる部門は、学校の教員であれ、プログラマーであれ、電気技術者であれ、看護師であれ、その他の生産技術者であれ、専門的な知識と経験が必要とされる部門である。

 その点、学者の世界とはかなりことなり、独特の養成課程を持っている。先輩が後輩を個別に指導し、独り立ちさせるというのは、聞こえはいいが、いやらしい言い方をすれば、親方、子方という“職人の世界”のなごりをとどめている部門でもある。

 だから、学校出たての新人さんがまず直面するのは、先輩との人間関係の難しさである。独り立ちするには経験が必要であるが、経験を積むためには、先輩のサポートが欠かせない。だから先輩との人間関係でまずつまずいて精神的に追い込まれていく人もいる。

 この点を、先輩からいうと、オレだって仕事を山ほど抱えているし、子どもじゃないんだから、一から十まで教えていられないし、自分で考えてなんとかしようとは思わないのか、という話になる。

 私が“ぞうきんがけ”時代を過ごした、電気工事業界はかなりヤクザな業界だったから、モタモタしていると「バカヤロウ、寝ぼけているんじゃない」とペンチが飛んできたし、「これってどうやってやればいいんですか」などと聞けば、「役に立たないヤツはウチに帰れ」といわれた。仕事の下準備も、仕事が終わったあとの後片付けも私がやらなければならなかったし、休憩の時の缶コーヒーやジュースを買いに行くのも私の仕事だった。

 もちろん、今の若い子にこんなことをすれば、一発で、次の日からは来なくなるだろう。

 しかし、これなどは本当はいい方で、現実の実態はもっと進んでいる。

 資本はこの部分の賃金が比較的に高価なことから、専門家は一人いれば十分だとばかりに、人員を極力しぼるということをやってきた。

 だから、指導する先輩もいなければ、相談する人もいないという職場に新人が一人で放り込まれるということもめずらしいものではなくなった。

 この点についていえば、90年代から急速に進んだ技術革新で、もともと高度な専門性を要求される職業の内容が飛躍的に高度化してしまっており、そういう技術を指導できる先輩自体がいないという点もある。

 だから、どこどこで何とかいう機械が故障しているから直してこい、といわれて行くのはたいてい私一人である。

  そして、行って機械の制御パネルを開けたら、複雑な配線がラーメンのようにこんがらがっており、機械的な部分だけではなく、CPUを使っているからシーケンサもプログラム化されている。

 今日はこれを直さなければ家に帰れないのか、と思うと、ビルから飛び降りようという人の気持ちも分からなくはない。 

 また、工事責任者として、山奥の飯場(はんば)に送られるのも私一人だった。仕事が終わったあと、夜遅くまで、施工図を書き直したり、明日の工事の計画を練ったり、今日の報告書を書くのは、私一人だった。余計なことを考えると寝る時間が遅くなるだけだから、何も考えないようにしていたが、あの頃、うつ病は私のとなりにいた。

 資本は「即戦力」、「即戦力」といいながら、そういう「即戦力」をどのように養成するのかという点にまったく心をくばらず、むしろそういう専門技術者の養成課程そのものを不生産的として切り捨ててきたために、養成課程そのものが機能しなくなっており、仕事ができる人材もかぎられてしまっているから、仕事ができる人に仕事が集中するという結果になっている。

 わけの分からない仕事を山ほど押しつけられて、相談する人もなく、一人で悶々として、精神的に追いつめられていくという職場は日本には数多くあるのだろう。

 私は幸いなことに、途中で、肉体的な健康を害して、「これ以上仕事を続けることは肉体的に無理」とドクターストップがかかり、“釜焚き”に転職したので、こういう人たちと同じ道を歩まなくてもすんだが、専門技術者の養成については社会的に考える必要があるだろう。

 

 

 

 

 

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介護福祉士の労働条件の改善が先

 給料の話をするのはあまり好まないのだが、あえて言えば、病院で一番のお金持ちはもちろんお医者さま。

 その他は付録みたいなものだが、あえていえば看護師、臨床検査技師、レントゲン技師、栄養管理士などの専門職と事務職はおおむね“人並み”(ただし看護師の給料の多くは夜勤、残業といった不正規な労働時間によるところが大きい)

 それに続くのが、うちらのような“釜焚き”(設備管理員)や警備員で、この下に各種のアルバイト、臨時雇用者、派遣社員が続いている。

 では介護の仕事をしている労働者はどのあたりかというと、“釜焚き”とアルバイトの中間ぐらいだから、彼ら、彼女らの賃金がどれほどひどいものか理解できよう。

 だから資格を持って介護の仕事をする人でも生活できなくてやめていく人が多い。

 もちろん、病気の人を動かしたり、お風呂に入れたりするのは、重労働であるのだが、彼ら、彼女らが仕事に見切りをつけていく一番の理由は生活するだけの給料を稼ぐことができないということにつきる。

 そこで政府はインドネシアやフィリピン、ベトナムが介護福祉士を“輸入”しようというのだが、それでは問題は解決しない。

 寝たきりの人は誰かが介護しなければ生きていくことはできないのだが、その仕事が生きていくことすらできない賃金しか稼げないというのでは、介護福祉の仕事は職業として成り立たない。

 こういった根本的な問題に目を背けて、アジアの人々は給料が安いからやってくれるだろうではあまりにも無責任なような気がする。

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少しまずいことに

 正体というほどのこともないが、病院に正体がばれそう、というよりも完全にばれました。

 もちろん、正面切って「お前は全共闘くずれの左翼だろ」などという人はいませんが、「アイツは・・・・・・」というウワサが病院のなかを飛び回っている。

 私の経験からするとたいていもう少しすると、直属の上司あたりが「きみはこの仕事が向いていないからやめたらどうだろうか?」という話をしてくることになっている。

 いわゆる退職勧奨というやつだが、教員になったときには、ほとんど毎日のように校長室に呼ばれて、校長から辞表を書けとネチネチとやられた。

 “電気屋”(電気工事のおっさん)をやっているときには、現場作業で、仕事ができるか、できないか、ということだけがその人を判断する基準になっているような業界だったから、「お前もバカなことやってんだな」ということだけで終わった。

 工場の“設備屋”をやっていた頃は、工場の設備担当はその工場の基幹社員で、非常に重要な立場にあったので、資本もかなり強引に圧力をかけてきた。残って闘うべきか、それとも会社を辞めるべきか?悩んだけれど相談した労働組合の委員長が「こういう問題はオレたちには関係ない」というから、後者を選ばざるをえなかった。

 おそらく今回もまた残るのか去るのかという話が出てきそうだが、私はもう後者は選ばないつもりだ。

 

 

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困難な仕事

 今日は病棟で電動ベットの修理をしていた。

 病院のベットは頭が上がったり、足が下がったりと、なかなかのすぐれものだが、壊れてしまえば修理が必要になる。

 看護師さんに患者さんを他のベットに移すように頼んだが、重病だから、できたらそのままやってほしいということだった。

 患者さんは90才ぐらいのおばあちゃんで、目がうつろで、かろうじて生きているような様子だった。

 その病棟は「ホスピス」というわけではないが、そういう患者さんが多かったような気がする。

 新しく施行された後期老人医療制度では、そういう患者は病院にとって利益を生まない患者だから、できるだけ病院から追いだそうということが画策されているようだが、この病院はそういう寝たきりになってしまった老人を受け入れてくれるだけ良心的なのかも知れない。

 知り合いで母親が寝たきりになってしまって、病院をたらい回しにされているという人がいたが、私も80才を過ぎた母親を抱えているので人ごとではない。

 それと同時にこういう人たちを日々相手にしている看護師さんたちは肉体的ばかりではなく、精神的にきつい仕事だなと思う。

 この病院に来た最初の頃、ICUで手洗いの水漏れを修理していたら、ドカドカと医師や看護師が入ってきて一つのベットのまわりに集まってなにかをやっていたが、やがて奇妙な静寂が訪れた。

 何が起こったかはすぐに分かった。そのベットの上部に設置されているモニターに映し出される心電図や心拍数の波形がすべてフラットになっていたのだった。

 集まっていた医者や看護師は無言のままその場を去っていった。

 自分は単なる目撃者なのだが、ああ、あの人は死んでしまったんだ、という何ともいえない気持ちになった。

 しかし、死んでゆく人が日常接している人であり、日常生活のなかで、人間の死が、自分のすぐそばに横たわっているというのは、ある程度の精神的な強さが求められる職業なのだろう。

 

 

 

 

 

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サービス向上委員会

 今日の午後、病院のサービス向上委員会主催の「クリーン作戦」が行われた。

 各部署の掲示板に貼られた案内では、病院のまわりをきれいにしようということで、ボランティアで病院周辺のゴミをひろうということだった。

 そのチラシには箒(ほうき)をもって笑っているナースのマンガが書かれていたので、病院内の男たち(総務、会計の事務方)が喜び勇んで参加したが、その三分の二ぐらいがすぐに帰ってきてしまった。

 「ナースが一人もいなかった」というのがその理由だが、考えてみれば看護師さんたちはみんな忙しいのだから、外に出てゴミ拾いをするヒマなどないのである。

 そこで男たちが問題にしたのが、このチラシを作った若いA君で、「アイツは・・・・」とつるし上げ状態である。

 つぎにやり玉にあがったのが、この委員会の責任者であるB医師である。(この人は医学部長さんだが、この「クリーン作戦」には参加していなかった。)

 「何で言い出したヤツが来ないんだ、そもそもアイツは・・・・」とこの人もボロクソである。「医学部長さんというのは、えらい人なんですよ」と私は一応、B医師を擁護しようとしたが、それこそあることないことである。

 この男たちのおもしろい話で、一番納得できたのは、「病院にはどうでもいい委員会や何をやっているか分からない委員会が多すぎる、本当に必要なのは委員会をなくすための委員会じゃなかろうか」という見解だった。

 

 

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今日は看護の日

 新聞によると今日はナイチンゲールの誕生日で「看護の日」だそうです。

 こういう日にあまり余計なことを書くと、顰蹙(ひんしゅく)を買いますので、今日はのブログはお休みです。

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ニッパチ闘争

 「ニッパチ闘争」を知っている人は今ではほとんどいなくなってしまったが、私にとっては、忘れることができない、なつかしい時代である。

 1965年、人事院は、看護婦の夜勤制限の必要性を認め、「1人夜勤の禁止」、「夜勤は月平均8日以内」などの「判定」を出したが、それが守られていないということで、1968年に新潟県立病院の看護婦がストライキに立ち上がり、その闘いは看護婦の全国的な闘いとなって、看護労働者が夜勤の制限を勝ちとっていった闘争だが、この闘争は60年の東大病院の看護婦のストライキからすでに始まっており、人事院の勧告もこの看護婦の闘争に対応するものだった。

 1962年に、私は当時小学生だったが、病気で数ヶ月病院に入院した。その入院先の病院でも看護婦さんたちが何度もストライキをやっていた。白衣に赤い腕章をして病院の正門でピケを張っている姿にまじって、パジャマ姿の子どもが一人いるというのは、よほど目についたのだろう、看護婦に混じってストに参加している子どもが一名いるというのは病院でも問題になっていたらしい。

 死んだ私のオヤジは全逓の活動家だったからそういうことを知っていても何も言わなかったが、退院して小学校に戻ったら担任の先生に「お前、病院で何をしていた」と聞かれた。

 それで「もちろん病気で入院しているのだから、毎日、痛い、痛いといってベットの上で泣いていました」と答えると、「オレも日教組だからな、そういうことにしとくか」といってくれました。

 もう半世紀近くも前のことだが、忘れることのできない楽しい日々である。

  

 

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看護師さんにも「プロパー」あり

 病院の帰り(午後5時ごろ)、病院の出口付近で、黒の背広を着て誰かを待っているかのような人たちをよく見かける。

 何でも「プロパー」を呼ばれている人たちで、医療関係者に医療情報を提供して医薬品や医療機器を販売する仕事をしているらしい。

 要するに、一種の「キャッチ・セールス」なのだが、見ていて感心するのは、私はそういう人に一度も声をかけられたことがないし、だれかれかまわず声をかけるということはないのである。おそらく、彼らは前もって販売対象者について面識があったり、情報をえたりして誰に声をかけるのか前もって決めているのであろう。

 彼らのお目当てはほとんどが「ドクター」なのだが、不思議なことに最近は看護師を対象にしたプロパーまで出現している模様である。

 今日、総務課の人と病院のなかを歩いていると、総務課の人が「あいつが来ている」というから、誰が来ているのかたずねたら、競争相手の某公共機関系の大病院の総務の人らしい。どうしてそういう人が来ているのかたずねたら、看護師をリクルートしに来ているということだった。

 何でも病院間で看護師の取り合いが激しく、某公共機関系の大病院でも、こういう“縄張り荒らし”のようなことが行われているそうである。

 特に私の勤めている某公共機関系の大病院は看護学校をもっており、2年間の“お礼奉公”(2年間の病院勤務の約束)が義務づけられているので、他の病院にとってはそれがねらい目らしい。

 だから彼らは臨時雇いのママさん看護師や口うるさい看護師長さまには目もくれず、若い看護師に手当たり次第に声をかけているらしい。

 この業界は病院の規模が看護師や医師の数で決まる“世界”だそうだから、若い看護師は引く手数多(あまた)だが、もちろんそれは夜勤ができて、あまりうるさいことをいわないというメリットゆえにそうなのであって、看護師の給料のかなりの部分が夜勤や重労働といった内容から決められていることを考えると、こういうことは必ずしも看護労働者の労働条件一般を向上させるものではないだろう。

 むしろ若年看護労働者の流入が多いということは、おばさん看護師の使い捨てを容易にするという意味でも、むしろ逆に作用することが多いのではないか。

 

 

 

 

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賢い税金の使い方

 空調関係からいうと今は“中間期”(暖房運転と冷房運転の中間期)ということになっている。

 この時期がむずかしいのは暑い、寒いは人の感覚であり、人の感覚はかなり個人差があるということだ。

 暖房にすべきか冷房にすべきかむずかしい判断を迫られるのだが、事態をむずかしくしているのは、“お金”の問題。当然のことながら、この時期、冷暖房を停止するのと、冷房運転にするのでは経費に大きな差が出てくる。(冷房は特に電力、ガス、水を大量に使用するので毎日数十万円の追加的な運転コストがかかる)

 そこで、「できるだけ引っ張れ」(冷房運転に入る時期を先にのばせ)ということになるのだが、そういうことで矢面に立つのは看護師さんたちである。“お客さん”つまり患者さんからの暑いなぜ冷房をいれないのかという苦情は看護師さんに集中する。

 そこで「ちょっと、いらっしゃいよ」と呼ばれて、看護師長さんらと(看護師長)補佐さんらにとりかこまれて、冷房はどうして入らないのかとつるし上げられることになる。

 私は会計課が許可しないからといっていつも逃げているが、実は、この病院の設備設計はそういう問題を解決するように設計されていたのである。

 この病院の空調設備を見せてもらって驚いたのは、最新式の4管式の配管(冷水系統と温水系統を別々に配管する方式)がなされていることだった。この方式だと、冷水と温水を同時に別々に循環させることができるので、あるところでは冷房がなされいても、別のところでは暖房運転ができる。だからそれこそ“お客さん”の異なった要望にも答えられることになる。

 ところがもっと驚いたのは、4管式の配管は熱源装置の近くところで終わっており、熱源装置のまわりは2管式になっていることだ。2管式だと行きと還りの管しかないので、循環させる水を冷水にするか温水にするか、つまり、全館冷房にするのか全館暖房にするのかのどちらか一つしか選べない。(部分的な冷房運転ができない)

 なんで全館を4管式の配管にしながら熱源のまわりだけ2管にしているのか、これだと4管式の配管にしている意味がまったくないではないかと質問すると、答えはきわめてシンプルなものだった。

 つまり、途中で予算がなくなったため、9割方完成していた4管式の冷暖房方式をあきらめて2管式の冷暖房方式にしたというのである。これは確かに、予算上での採算は合うかも知れないが、4管式のために投ぜられた数億円の投資はまったくムダになってしまうのではないだろうか?

 同じことは、四月までいた某公共機関でもあった。

 そこでは高調波(ひずみ電流)対策が問題となっており、私は意見を求められたので、多くのところでは規定以上の高調波(ひずみ電流)が流れたときに自動的に高圧コンデンサを遮断するカットアウト装置をつけている、と答えたが、担当のお役人はそれでは満足せず、アクティブ・フィルターという高調波を取り除く装置を2機導入した。

 それは1機1億数千万円もする高価な装置だったが、導入して数ヶ月もしないうちに、そのお役人さんはその装置が電力を非常に大量に消費する機械であることに気づいた。

 そのお役人さんは「省エネ」担当でもあったので、すぐに機械を停止して一ヶ月に数時間程度試験運転をするだけにせよ、というお達しがあった。

 つまり三億円近い税金を投じて購入された機械は一ヶ月のうちに、ほんの数時間程度試験運転をするだけのために使われることになってしまったのである。(もちろん、常時運転していなければ高調波対策にならない。)

 こういう中途半端で無計画的なやり方では税金はいくらあっても足りないであろうということは自明だろう。

 

 

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育休取得第1号は失敗

 病院で働いている看護師さんの着ている“白衣”は微妙に違う。病棟の看護師さん、外来の看護師さん、オペ室(手術室)の看護師さん、それと介護士さんと看護助手さんと看護学校の学生さん。

 看護助手さんは昔は“准看護婦”と呼ばれていたそうだが、現在はかつてのような“准看制度”はない。

 そこで気になるのは、この看護助手さんたちのなかには、正看護師の資格を持っている人が何人もいることだ。

 その人たちの多くは夜勤ができない、フルタイムとして働けないということで、不正規雇用の身分に甘んじているママさん看護師さんたちだが、こういう低賃金の不正規雇用はあまり好ましいものではない。

(こういう人ばかりではなく看護助手一般を正規雇用にせよという見解もあるが、私はそういう見解にはあまり賛成はできない。「たかが資格、されど資格」という面はある程度あると思うからだ。つまり、どの職業でもその職業に就くにあたって必要な一定の能力や知識を資格として担保しているという面があり、そういうことをあまり軽々しく考えるべきではないと思うからだ。たとえば私の職業である電気工事にしても、電気工事士の資格のない人が何人も電気工事に従事している。私はそういうことにあまり文句は言ったことはないが、高圧電気工事や電源工事などのある程度以上の技術や知識が必要な作業は資格者しかやらせないことにしている。)

 こういう情況が生まれている背景には、現在の女性労働者が抱えている困難がある。男女雇用均等法が施行され、育休制度は民間でも普及し始めているが、それでも子育てと女性が社会に出て働くことを両立させることの困難は残っている。

 本来ならこういう困難を解消するための施策がなされてこその「男女共同参画」の社会であろうが、むしろ経営側はこういう女性労働者の足元を見て、低賃金と劣悪な労働条件を押しつけているのである。

 したがって単に制度ができたからというだけでは解消できない問題は依然として課題として残っているし、こういうことはだいぶ前から明らかであった。

 恥ずかしい話だが、私が以前働いていたビルメンテナンス会社でも鳴り物入りで育休制度が導入され、経理をやっていた女性労働者が取得第1号となった。

 ところが、その女性労働者が職場復帰をするとき“大問題”が起こった。彼女の所属していた経理部門ではもう新しい女性労働者が雇用されており、彼女が復職すると定員オーバーになるから職場復帰はできないと会社が言い出したからである。

 育休制度を導入して、育休が終わって職場復帰をしようとしたら、元の職場はもう定員いっぱいだから、職場復帰はあきらめて退職してくれというのはあまりにも理不尽な話ではあった。

 当時私は、技術部の係長をしていたので、人事課長にその件で談判に行ったが、人事課長は、「君がこの問題でごねると、彼女と彼女のダンナさんが迷惑するのではないか」といった。

 彼女のダンナさんは警察官で巡査部長に昇進したばかりだそうで、私のような“全共闘くずれ”と関わりをもつと、警察内部で問題になるそうである。

 私が彼女にその話をすると、「わかりました。職場復帰はあきらめます。」といって泣き出してしまった。

 あの時はどうしょうもなかったが、どうしょうもないというだけですむ問題ではない。

 

 

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今年もメーデーには行かなかった

 職を転々とした人生で労働組合ある職場もあったし、なかった職場もあった。

 どちらかといえば労働組合がない職場が多かったが、メーデーにはできるだけ参加するようにしていた。

 これは昔、労働運動があってストライキがあった時代の気持ちがまだ残っているからだろう。

 ストを切り崩されないように拠点校の校庭に集まって、スクラムを組んで、「日教組の歌」を歌ったり、デモ行進をしたりした時代もあった。たった一日か半日のストライキというが、父母からも、マスコミからも、右翼からも、警察からも袋だたきにあっているなかでのストライキは強烈な印象として残っている。ああいう時代を通り抜けてくると、やはりメーデーは労働者の特別な日という気持ちになる。

 しかしここ数年メーデーとは縁がなくなっている。直接の原因は今年も仕事があったからだが、昔なら、有休を取ってでも参加していた。

 だから本当は、最近は休んでも参加しなければという気持ちが薄れているというのが正直なところだろう。

 これはなんだろうと考えるが基本的には、闘う仲間がいない、普通の労働者がいないというのがメーデーから足が遠のいている理由であろう。

 では労働者の生活を団結の力で改善し、守っていこうという人は本当に職場からいなくなってしまったのだろうか?もちろんそんなことはないだろう。

 むしろそういう人は、今、長い眠りから目を覚まそうとしているのかもしれない。

 

 

 

 

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体中が臭い

 病院の生ゴミ処理機が故障して修理していたら、生ゴミのにおいが体について抜けなくなってしまった。

 結構大きな病院だから、患者さんや職員の食事の残滓が毎日かなり出る。病院ではそれを生ゴミ処理機にかけて、水分を抽出して、ブタのえさのような固形物にして処理しているが、その機械の修理が大変だった。病棟から臭いという苦情も何件かあった。

 こういう事件になってしまったのはいくつかの理由がある。一つは生ゴミを搬送するパイプがつまったまま何日も放置されていたのでバイブのなかの生ゴミが腐ってしまい処理システム全体が強烈な腐敗臭を放つようになってしまったこと。

 このような故障の放置が起こったのは、この生ゴミ処理システムを管理していたのが栄養管理部だったことが大きい。栄養管理部の栄養士さんたちは大学で栄養学を学んだその道の専門家だが、こういう機械設備の維持・管理には疎いということがある。

 そしてさらに、生ゴミ処理システムが故障して動かないことは何日も前から分かっていたのだが、会計課の人は予算がないということでなかなか修理の許可をくれなかった。やっと了承してくれたのは交換用のポンプの購入は認めるが、ポンプの交換は設備の人で(つまり無料で)やってくれということだった。

 会計課の人がこのようにケチっているのは、一つには医療関係の設備は割高だということがある。つまり、業者に足元を見られて値段をふっかけられるということがあるのである。だから同じポンプにしても普通より2、3割高めだし、それに交換の工賃を加えると、何で?という見積金額になる。

 それと現在医療現場では医療費全体の引き下げと、公的医療機関では補助金がほとんど出なくなって独立採算制を強要されているということがあり、そのしわ寄せが整備・設備費の圧縮となっているということがある。

 だから、ポンプを交換するために配管をはずしたら腐ったものがドボドボと出てくることになる。こういう動脈硬化は医療現場の現状そのものかも知れない。

 

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給料日ははるか彼方

 マルクスの『資本論』では労働者の賃金は労働力商品の販売価格ということになっているので、労働者は働く前に自分の商品の販売価格(労働賃金)をもらえることになっているが、現実の社会では賃金は労働の対価ということになっているので、労働が終わってからもらえることになっている。

 さらに、日本の大半の会社は給料の締め切り日から何日か経過してからようやく給料がもらえることになっている。(金利が高かったときにはこの給料を銀行に預けている期間の利子が結構あったのだが、金利がゼロに近い今ではほとんど意味をもたないことになっている。)

 だから4月1日に入社した私は月末締めで20日払いの会社に就職したので、およそ50日間は給料がもらえない!という悲劇的な状態にある。

 もっとも「悲劇的ですわ」などと余裕で語れるのは貯えが少しあったからである。

 前の会社を辞めるに当たって貯えを残していたのは、過去に苦い経験があったからだ。

 もうにだいぶ前になるが、勤めている会社を些細なことで社長とケンカしてやめたことがある。今ならもう少し理性的、かつ打算的にふるまえるのだろうが、何しろ若かったから、売り言葉に買い言葉でその日のうちに会社をやめてしまった。

 会社をやめてから、すぐに新しい会社は見つかったが、働き始めてすぐ給料をもらえるわけではないということに気がつき、貯えもなかったので愕然とした。

 そこで、ちょうど年末だったから、新しい会社に内緒で年末から正月にかけて日銭の稼げるガードマンのアルバイトをやって何とか生活費を工面しようとした。

 警備会社から配備されたのは競艇場で、雪がチラチラ降るなかで、立哨をしていると、本当に自分が情けなくなった。レースが始まると響いてくるお客さんのワー、ワーという歓声がうらやましくさえあった。

 なぜ失業手当や再就職支援金制度を利用しなかったのか?という疑問もあるかも知れないが、自己都合での退職はすぐに失業手当が支給されるわけではないし、再就職支援金制度を利用するには会社に離職票を書いてもらわなければならない。

 しかし、私のように社長とケンカをして会社をやめた人には会社は離職票など発行はしないし、例え離職票を発行してもらっても、そういう手続きをしているうちに、日にちだけがどんどんとすぎていくということになる。(離職票を書いてもらうのに一週間、それを職安に提出して、失業認定を受けるまでに一週間、失業認定を受けて再就職が決まるのに一週間、働き始めて再就職手当が支給されるのに一週間としても、順調にいっても一ヶ月程度の期間が必要である。)

 そういう点では転職は慎重にというキャッチフレーズは正しいのかも知れない。

 

 

 

 

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