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ニッパチ闘争

 「ニッパチ闘争」を知っている人は今ではほとんどいなくなってしまったが、私にとっては、忘れることができない、なつかしい時代である。

 1965年、人事院は、看護婦の夜勤制限の必要性を認め、「1人夜勤の禁止」、「夜勤は月平均8日以内」などの「判定」を出したが、それが守られていないということで、1968年に新潟県立病院の看護婦がストライキに立ち上がり、その闘いは看護婦の全国的な闘いとなって、看護労働者が夜勤の制限を勝ちとっていった闘争だが、この闘争は60年の東大病院の看護婦のストライキからすでに始まっており、人事院の勧告もこの看護婦の闘争に対応するものだった。

 1962年に、私は当時小学生だったが、病気で数ヶ月病院に入院した。その入院先の病院でも看護婦さんたちが何度もストライキをやっていた。白衣に赤い腕章をして病院の正門でピケを張っている姿にまじって、パジャマ姿の子どもが一人いるというのは、よほど目についたのだろう、看護婦に混じってストに参加している子どもが一名いるというのは病院でも問題になっていたらしい。

 死んだ私のオヤジは全逓の活動家だったからそういうことを知っていても何も言わなかったが、退院して小学校に戻ったら担任の先生に「お前、病院で何をしていた」と聞かれた。

 それで「もちろん病気で入院しているのだから、毎日、痛い、痛いといってベットの上で泣いていました」と答えると、「オレも日教組だからな、そういうことにしとくか」といってくれました。

 もう半世紀近くも前のことだが、忘れることのできない楽しい日々である。

  

 

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