« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

寄ってたかって

 ようやく面接を受けさせてもらったが、驚いたのは私を取り囲んで、エライ人がずらりと並んでいること。

 どうせそんなに給料をもらえるわけでもないのに、みなさん寄ってたかって何をしているんでしょうか?

 そういう人たちが、どうして法学部を出ている人が、小学校の教員をやっているのかとか、何んで教員をやめたのかとか、どうして電気工事屋をやるようになったのかとか、どうして前の会社を辞めたのかとか、根掘り葉掘り質問してくる。

 あんたらには余計なことだろうが、と思ったが雇ってもらえないと何も始まらないので仕方なくていねいにお話ししましたよ。

 そもそもよく分からないのは、風呂屋(名古屋郊外の自称“温泉”、名古屋にはこういうところがたくさんある)の三助(風呂屋で風呂を沸かしたり、お客の体を洗ったりする人のことで、現在ではこの言葉自体が“差別用語”で使ってはいけない言葉だそうです)や汚水処理場のポンプ係が、“アンタにはもったいない仕事だ”と断られたあげく、世話していただいたのがこの仕事でして、裃(かみしも)を着た“釜焚き”という世にも不思議な仕事だ。

 結婚式場でアルバイトをしていた時は、みっともないからそんな格好でお客の前に出るなといわれ、背広にネクタイをしてトイレの詰まりを直していたが、鏡に映った自分の姿を見て、笑えた。

 最近は、どういうわけか、こういう“高級釜焚き業者”が多くなっているが、その高級感に反比例して、給料が減っているのはどうしてでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3時間待ってようやく

 ようやく離職票を職安に提出して失業給付の手続きが終わった。

 長い時間、職安の固いソファーに座って自分の名前が呼ばれるのを待っていた。

 もっともこのソファーに座れたのは職安に来て1時間すぎてからで、来た当初は職安にある二階にも上げてもらえず、階段で行列を作って待っていた。

 若い人の中には、何でこんなに待たされるんだ、と怒り出す人もいたが、たちまち職安の人が出てきて、ひたすら謝っていた。

 しかし、ほとんどの人は無口でただひたすら待っている。悲壮感はないがみんな真剣だ。

 1日も早く、こういう状態から抜け出したいということだけを考えているからだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ようやく離職票が・・・

 今日(4月18日)、ようやくもとの会社から離職票が送られてきた。

 退職したのが3月31日だから、18日間も会社は一体何をしていたのでしょうか?

 しかも今日は土曜日だから、職安へ行って手続ができるのは20日の月曜日でしかない。しかも、この離職票を提出して失業認定してもらうには20日から一週間後の27日になってしまう。

 職を失ってから一ヶ月たたなければ“失業者”様になることができない現行の雇用保険制度は、絶対におかしい。

 自己都合の場合は、失業認定がなされて3ヶ月は給付制限が課せられているので、自己都合でやめた労働者が失業給付が受けられるのは、4ヶ月後ということになる。

 4ヶ月間も収入なしに、“自宅待機”できる労働者はほとんどいないから、日本では、“自発的に”離職した労働者が失業給付を受けることはほとんどない。

 もちろん、会社側にも言い分がある。それは離職票発行の手続きが煩雑だからである。手続に関していえば、1年分の給与を計算しなければならないということがあるそうだ。
(もっともこれは単なる言い訳にすぎない。)

 しかし、失業認定を行うのに、そういう手続が必要であろうか?失業給付の計算をするのに必要であるというのが職安の見解だが、そういう計算は、一週間の“自宅待機”中にゆっくりやればいいのであって、まず失業認定が先だろう。

 会社が退職者に退職証明書を発行して、失業認定に必要な給与計算は“自宅待機中”にというのは、ぜんぜん問題はないのだが、そういう方式をやらないのは、職安、というよりも厚生労働省が職を失った労働者に対する失業給付をできるだけ削減しようとしているからにほかならない。

 職を失った労働者が失業給付を受けることをあきらめて、失業給付前に職につくことをねらっているのだが、こういうやり方はもう通用しなくなっている。というのは、職を求めている人が多すぎるために、労働者の就職が困難になり始めており、職を失った人の生活の維持をどうするのかということが大問題になり始めているからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愛知で一番有名な“求職者”

 ハローワークの係官いわく、

「アリョーハさんは、愛知一番有名な求職者」だそうです。

「有名すぎるから就職できないのではないかとも」

ハッ、ハッ、ハッだよ。

そんなことオレは知らんよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

精神衛生上の問題

 これまであまりまともな人生を送ってこなかったので、自分にはプライドがないと思ってきたが、それでも「今回は期待に添えず申し訳ありません」といって立て続けに履歴書を突き返されると、さすがに心にグサッとくる。

 一番よくないのが、自分はなぜ落ちたのだろうかと考えること。こういう“解不能の難問”を考えはじめると、被害妄想が広がって、ドロ沼の中にどんどんとはまりこんでしまう。

 向こうにもいろいろ事情があるのだろうと軽く考え、気分を切り替えて、次をねらった方がいい。

 そういう点では、現在の求職活動は、精神的なタフさが必要だし、ここで精神的にくずれたら、それこそ本当に生活そのものがくずれていくことになりかねない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“ヤミン”の頭目

 名古屋市長選に立候補しているA氏を見て、“ヤミン”という思い出してはいけない言葉を思い出してしまった。

 “ヤミン”というのは愛大名古屋校舎の二部(夜間部)の自治会(共産党系)の活動家たちのことで、“夜の民青”という意味だと思う。

 この“ヤミン”が登場したのは、1971年の愛大紛争の頃だった。この大学紛争が特徴的なのは、大学当局VS学生活動家という当時の一般的な対立構造とは違って、共産党系の学生活動家VS反日共系(革マル派、中共派、ノンセクト)の学生活動家という対立構造が前面に出てきた大学紛争だった。

 反日共系が学生会館を取り、日共系が自治会会館を取るという陣取り合戦に始まり、双方が連日のように“白兵戦”を繰り広げたこの紛争で、共産党の“武装勢力”は“暁部隊”と呼ばれていたが、その実態は、外人部隊+“ヤミン”であった。

 全学ストが行われた当初はそれなりに意味のある紛争で、一般学生も参加していたが、党派が前面に出てくる中で、一般学生は姿を消し、後には、むき出しの党派闘争だけが残った。

 しかもこの党派闘争というのは、愛大名古屋校舎をどの党派が支配するかという、ヤクザの縄張り争いのような闘争へと変質していった。

 むきだしのゲバルト(暴力)のみが正義であり、秩序であるような状態が長く続き、双方が“戦時捕虜”をとって、自己批判をせまり、拒否すると、ボコボコにリンチされた。これは“暁部隊”だけではなく、中共派の毛沢東思想学生戦線も同様なことをした。

 ウソとデマがはびこり、共産党の国会議員は国会で、愛大名古屋校舎の反日共系の学生活動家たちは、公安警察や自衛隊(!)とつながっているとさえ誹謗中傷した。

 名古屋大学あたりで同じことが行われれば、大学当局も愛知県警も放ってはおかなかったのだろうが、どういうわけか、大学当局も愛知県警も介入はしなかったので、愛大名古屋校舎は荒れるがままに、荒廃していった。

 そういうあの時代につながる人が、今名古屋市長選挙に出てくることが理解できない。

 古き悪き共産党を体現しているような人物を名古屋市長選挙の候補者にするということ自体、共産党はあの時代から何も学んではいないということではないか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

若い人の求職

 職安で多いのは、われわれのようなジイさまと若い人、若い人には“トライアル雇用”とか、“若年奨励金併用”とか優遇策が設けられており、賃金もそれほど低くはないのだが、なかなか就職がむずかしそうだ。

 職安で待っている時にとなりでポチポチ携帯でメールを打っていたヤング失業者の話だと、ずっと自動車関連の派遣労働者をやっていて、自動車関連はもういいから他の業種をさがしているけど、よく考えたら自動車のことしかできない、できるのはメールの早打ちぐらいかな、といっていた。

 「携帯電話でメールを打つ仕事はないかも知れないから、職業訓練を受けたら」と言ったが、この職業訓練も希望者がいっぱいでむずかしそうだ。

 われわれのようなジイさまが、毎日、職安に通って、いい仕事ありませんか、というのは、仕方がないといえば、仕方がないことなのかもしれないが、若い労働者が希望を持って生きていくことが社会の未来にとって不可欠のことなのだろう。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

労働者同士の競争は好きではない

 アリョーハはなぜ、ブラブラしているのか?

 という質問に対して、一言、二言。

 一つは、現在、愛知での就職は一般的にむずかしいから、有効求人倍率はとうの昔に1を切っている。

 二つ目は、他人を蹴落としても就職したいと思わないから。一つの仕事に何人も、時には何十人もの応募者がいるのだから、どうしてもそういう人たちのことも考えてしまう。

 私は残り物で結構です。17才で左翼になってから、ずっと冷や飯を食ってきたので、今さら、人を蹴落として暖かい飯にありつこうとも思いません。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

休日がつらい

Photo_6 普通は土日はハッピーな日なのだが、いろいろありまして、何もすることがない日というのは、結構つらいものがある。

 特に今日は、アニキの子どもの嫁さんが母親のひ孫の1才の誕生日だということで赤ん坊を連れてあいさつにやってきたので家を追い出された。

それで近くの公園で寝ころんでヒマをつぶしていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なすすべもなく、見る桜かな

Photo_4

Photo_5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アリョーハは無職渡世人

 今日で無職、一週間目になる。

 無職であって、失業者ではないのは、まだ「離職票」をもらっていないから。

 普通は、離職票を職安に提出し、一週間の「失業認定期間」を経て、めでたく「失業者」に栄転というか、昇進するのだが、そんなことをやっていたら餓死してしまうから、毎日、職安に通っている。

 なかなか仕事はありません。

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »